2006年01月24日
他人の責任を負うということ
人間は自己正当化の好きな生き物である。何とかして自分を守ろうとする。
会社で時々起こることなのだが、上司が勘違いして私のミスではないのに私のミスだと思っていることがある。
そして私は注意をされるのだが、私の心の中で瞬間的にこう思う。
「それは私のミスではないですよ。勘違いしないでください!」
この思いは当たり前といえば当たり前の反応である。私のミスではないのだから。
しかし、私のミスではないということは、暗にあいつのミスだと言っている事になる。これはあまり気分のよいものではない。
自己正当化、これは人間の中の醜い部分だろう。壊さなければならない壁。この壁がなくなればどれだけ自由を感じることができるだろうか?
そしてこの自己正当化を超えて他人の責任までも負おうとする人は凄いと思う。
それが正しい、正しくないは別にしても、そのような行動ができる人は只者ではない。
それくらい心の広い人間になりたいものである。
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そして私は注意をされるのだが、私の心の中で瞬間的にこう思う。
「それは私のミスではないですよ。勘違いしないでください!」
この思いは当たり前といえば当たり前の反応である。私のミスではないのだから。
しかし、私のミスではないということは、暗にあいつのミスだと言っている事になる。これはあまり気分のよいものではない。
自己正当化、これは人間の中の醜い部分だろう。壊さなければならない壁。この壁がなくなればどれだけ自由を感じることができるだろうか?
そしてこの自己正当化を超えて他人の責任までも負おうとする人は凄いと思う。
それが正しい、正しくないは別にしても、そのような行動ができる人は只者ではない。
それくらい心の広い人間になりたいものである。
Posted by mf1978 at 23:50│Comments(0)│TrackBack(0)